モーツアルトのかなしさは、疾走する?


ほんとの独り言は時々言っておりましたが(笑)、こちらにはずいぶんと、言ってなかったような^^;;

えーと、思いつくままにモーツアルトについて書いてみます。ほんとに拙い文章ですが、お許し
下さい。

評論家 小林秀雄さんの有名な言葉に、<モーツアルトのかなしさは疾走する、涙は追いつけ
ない> というのがあります。
確かに、モーツアルトの曲はきれいで、感動的なんですが、たえず変化していて、かなしさを
感じている暇がないほど、次々と展開されていって・・・。でも、その表情の変化は、とても
人間業とは思えないくらい自然で、とてもすばらしいものなんです。

バロック音楽とか、古典音楽とか、ロマン派音楽とか・・・いろいろありますが、モーツアルト
はどの分類にも属してなくて、別にモーツアルト音楽というのがある、と言った人がいましたが、
(誰が言ったのかは、覚えていません・・・)その話を聞いた時、あっ、なるほど、そうかもしれ
ない、と思いました。
モーツアルトは、沢山の曲を作ってますが、どの曲を聞いてもモーツアルト的であって、モーツ
アルト的でないものは、おそらくないのでしょう。

モーツアルトとベートーヴェンのピアノソナタを比較・・・なんて出来る知識はないのですが、
ひとつ感じていることを言うと、ベートヴェンの曲はとても人間味のある音楽だな、と思ってい
ます。人の感情というか、人間的な何かの表現を音楽で目指していたのかなあ、と思ったりして
います。

ベートヴェンの後期のピアノソナタなどは、感動的で、涙がこぼれる程に感激した作品もあるの
ですが、もしかして、神様か、なにか普遍的なものの表現なのか、信仰なのか、祈りなのか、
全く別なものか分かりませんが、とても厳格的で神聖な印象を受けました。でも、そこには人間
的なものもすごく表現されているのだと思うのです。
だから、人の涙が追いつけるのかな・・・少し違うかもしれませんが。

一方、モーツアルトは、人間と神との関係とかではなく、普遍的な音楽そのものの表現?であっ
て、まるで人間ではない者によって作られたのでは、と思うほどその変化は自然で、かつ美しさ
に溢れています。人が神を表現したのでなく、まるで神の子の手で創られた音楽と思っても言い
過ぎでないような・・・それが、彼が神童と言われる所以なのかも、と。
何か人間的なものの表現もされているのかもしれませんが、私のような凡庸な者には、わかりま
せんでした。
近年のモートアルトの研究で、心情的なものが彼の曲に反映されているという人もおります。
確かにモーツアルトもたぶん人の子ですから、当然なことかと思います。でも、それにしても、
モーツアルトの曲には人とは別の次元で創られた何かがあるのでは、と思うのは私だけでしょうか。

モーツアルトの曲は大好きで、たまに自分でも(簡単なやさしい曲だけですけど^^;)弾いたり
しますが、聞いていて、涙がでるほどに感動したことはありませんでした。でも、小林秀雄さんの
「モーツアルト」という本の中で、

    「モーツアルトのかなしさは疾走する、涙は追いつけない」

をということばを見た時、とても共感を覚えたというか、妙に納得してしまいました。
人間として、すごく感動したい時には、モーツアルト以外の曲の方がむいているのかもしれない
でも、モーツアルトを一度、知ってしまった人は、決して聞くのをやめるなんてことはできない、
もしかして 神がかり的な音楽 なのかも知れません。

モーツアルトを聞いて、涙が追いつける人が、もしいらっしゃったら、それはきっとモーツアルト
的才能をもった人なんだろうな、と思います。

ところで、モーツアルト本人は、おいつけたんでしょうか?でもその前に、自分の曲だから、感動
はできなかったかもしれないですね(笑)